2017年05月04日

クオリティより、ギャップ

僕たちが空のコップで、何を注ぐかを考えれば、「楽」になると言ってきているわけだけど、ようは、

楽しく生きなきゃ、人生もったいねぇよ

ってことなわけ
で、今の世の中を見てみると、楽しく生きようとみんな必死だし、そういう情報もめちゃくちゃ多くなったと思う

だけど、多くの人は

クオリティ

ばかりを求めてるようなきがするんだよね

で、こういう人に多いのが、

好き=楽しい

と思っていること
確かに、楽しむためには、好きな事から始めてみるというのは、「きっかけ」としてはいいかもしれない

実際、うさんくさいモティベーターとか、スピリチュアルカウンセラーなんて連中に多いのが、

好きな事をしていけばいいんです
嫌いな事はする必要がありません

といったようなことが多いような気がする

だけど、

好きじゃなくても楽しい

ということだってあると思うんだよね

好きだから楽しい

というのが多分大勢の人の感覚だろうから、そうした人はもしかしたら

あんた何ば言いよるとね?

と思うかもしれない

クオリティを求めてしまうと、人は「やるべき」事を考えてしまう

クオリティをあげるために、○○しなくてはならない
とか、
クオリティをあげるために、○○をするべき

といった感じのことを思う人が多いだろう

だけど、「〜しなくてはならない」とか、「〜するべき」ってのは、言ってみれば、縛りみたいなもんで、自由とは離れてしまって、楽しむことが目的なのか、クオリティが目的なのか分からなくなってしまう

それよりも、ギャップに注目すると、人は楽しみや、希望を抱くようになると思うんだよね

今よりも、いい暮らしがしたいというギャップ
今よりも、いい成績を残したいというギャップ
今よりも、楽しくしたいというギャップ


そして、それが現実のものとなった時に初めて

楽しい

と思えるのだと思う
で、当然この根っこにあるものは、「〜したい」だから、やりたくなければ、やらなきゃいいわけで、別のことをしてみたり、またそのギャップを埋めようと必死に何かしらをすると思うわけ

ようは、楽しいと感じたい、感じる時ってのは、少なくとも、それ以前もしくは、現状との比較がそこにはあるということなんだよね

で、その比較する対象も、未来にあるんだから、誰も分かるはずがないんだよね
今を楽しんでいる人は、今と過去を比較して、そこにギャップがあるから楽しいと感じたり、さらにその先と思うから楽しいと思えるわけ
決して、クオリティが高いから楽しいということではない

だけど、クオリティを求めて進んでいくと、デキない時に悩み、楽しくなくなってしまうし、それが言い訳にもなってしまう

ギャップを求めれば、クオリティが低かったとしても、デキていなくとも、何らかのギャップを感じることができるわけだから、楽しくもなる
次はこうしてみようとか、これでこうなったんだから、今度はこうしてみようとかね

今は、昔に比べていろんなモノ・コトがハイクオリティになってきた時代だ
求めるものも、求められるものも、クオリティの部分が強い
だから、クオリティを求める、あるいは、クオリティが高いというのは、ある意味当然であっても仕方がないわけ

これは、言い換えるなら、ハイクオリティが当たり前なんだから、そこを求めて生きても楽しめない人が多いのも当たり前ということでもある

だからこそ、クオリティに目を向けるのではなく、ギャップに目を向ければ楽しくなると思うんだよね

それも、ギャップを埋めようとすると、過去に目が向いて、クオリティを求めちゃうから、埋めるのではなく、ギャップを「創る」と思えば、未来に目が向いて、どんどん楽しい事を想像していくだろうから、想像した事をどんどんしていけばいい

ギャップをどんどん感じていこう
そして、ギャップをどんどん作っていこう
posted by コウちゃん at 14:41| 福岡 ☁| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする