2017年05月30日

情弱列島

「情弱」という言葉が1部の人達の間では当たり前のように使われている

情報弱者

を略して情弱と言うのだそうだけど、

“情”に“弱い”

という意味で僕は使うことがある

よく言われることじゃあるけど、日本は治安が良いと言われている

確かにその通りだろうと思う
僕も海外に数回、数か国行ったことがあるけど、行ってみてホントに日本って住みやすいと感じたんだよね

表現力に関しては、日本人は欧米人に比べて上手ではないと言われるけど、それは、表面的な表現の問題で、国民レベルで、日本人ほど“情”に“弱い”国というのはそんなに多くはないように思える

例えば、海外ではストリートパフォーマーへの“投げ銭”や、チップの習慣が“普通”とされるけど、日本人では少ない

だけど、チップや、投げ銭はしなくとも、“差し入れ”はする

お金じゃなくて、その時々、相手に合わせた“送り物”をしているのだと思うわけ

それは、相手に対して“情”があるからで、形にならないモノを形にするのに、お金という手段ではなくて、送り物っていう手段でしているだけの違いなのだよね

いつもお世話になっているからそのお礼に
嬉しいことがあったから、そのおすそ分けに
申し訳ないと思ったから、そのお詫びに

理由はその時々で違うけど、“情”というものを大事にするからこそ、こうした風習があるのじゃないかなぁと思う

“情”をお金にするか、相手に合わせた物にするか

それだけの違いなのだけど、僕は、形にならない“情”というものをお金じゃなくて、送り物にするってのは、実はもの凄いハイレベルなことをしていると思うんだよね

その為には、相手の事を知らないといけないし、相手の事をそれだけ深く知るということは、それだけ深いつながりがあるからこそなのだと思う

何気ないことなのだけど、この何気なさが、ホントに大事だと思う

だけど、それは“諸刃の剣”でもあって、“情”に“弱い”からこそ、主観的にもなりやすい

それで、トラブルになることがあるし、“群れ”る人も出てきたりすると思う

それは、そういう環境で育ったことだから、仕方のない事なのだけど、今はそれを“やり方”でどうにかしようと必死になっている人が多いような気がするのだよね

もともとが、“やり方”よりも“あり方”を大事にしてきたのが日本人なのだから、やり方なんてのは何でもいいし、どうでもいい

あり方さえしっかりしていれば、やり方なんてのは人の数だけあるわけだから、そっちの方が楽だし、楽しむこともできるし、何より、“気質”ってものがあっていると思うのだよね

それに、あり方がしっかりしていたうえで、やった事なら、例え失敗しようとも、それはそれで、ネタのように受け入れられるんじゃないかな(笑)

だから、僕は、やり方よりもあり方を発信することで、人を支えて、応援したいと思うんだよね

とは言っても、僕も“やり方”にフォーカスしちゃう時がまだまだある
そういう時は、一旦立ち止まって、書いて整理したりして、自分を他人と思って、見るようにしているんだよね

そうしたら、ちょっとは落ち着いて、そもそもの向かいたい方向が見えてくるからね
posted by コウちゃん at 15:42| 福岡 | Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月26日

格差を埋めるモノを“常に”考え続けていくだけ

クレクレ星人を変える事はデキないけれど気づかせ、勇気づけることはできる

その後どうなるかは、その人やその環境次第で、僕たちができる事というのはホントに些細なことしかない

気づかせ、勇気づける

ホントにこれだけの事しかできないわけで、

大事なのは、どうありたいか、何を生み出したいかってことを“常に”考え続ける事

で、クレクレ星人が気づき、勇気を持って“進化”したら、僕は

ギブギブ星人

になると思う(笑)

ギブ=与える

ということだから、こうなればホントにいろんな人が楽になるし、そうありたいと僕は思うんだよね

だから、クレクレ星人とギブギブ星人は紙一重なのだ

クレクレとなっている時は、その人なりに何かしらの縛りから解放されたくてもがいている時なのだから

ただ、その方向性が“やり方”に偏ってしまっているだけの話で、やり方よりも大事な

あり方

にフォーカスできるように、勇気づけて共に歩む人が必要になる
そうした人に出逢えるのは幸せなことだし、何より、自分がクレクレ星人にならなくても済む
僕は幸運なことに、たまたまそういう人に出逢う事ができた

だから、僕は環境を変えるということは決して悪いことじゃないと思うんだよね

で、このクレクレ星人と、ギブギブ星人の違いがいわゆる“格差”というモノを生み出しているのじゃないかとも思う

というか、すでにこうした事は、あの諭吉さんが言っていたわけで、ホントにその通りだ

天は人の上に人を作らず、
人の下に人を作らず“といへり”


実は、僕自身もクレクレ星人だった時があるし、今でもそれは残っていると感じる時がある

で、この諭吉さんのセリフを、“平等”を説くものだと“勘違い”していたんだよね

だけど、実際はそうではなくて、“人の生き方に違いが生まれるモノは何ぞや”という事を説いたセリフの“たった一部分”だったというわけ

その為には、何かを学び、考え、動いたかどうかによって

“違い(格差)”が生まれる

ってことだったんだよね

だから、

不完全サイコー!不完全イェ〜イ!

となる(笑)

不完全ゆえに僕らはいろんなことにつまずき、悩み、その不完全さを埋めるために必死になるのだけど、

ようは、違い(格差)を埋めるためには

どれだけ学び、
どれだけ考え、
どれだけ創造していくか


ってことを“常に(=24時間)”続けていくことでしか埋められないってこと

仮に“失敗”と感じる結果になったとしても、格差を埋めるまでに至らなかったとしても、何も気にすることはない

だって、命までとられることはないのだから、いくらでも修正することはできるわけだしね

世の中の成功者たちにしても、ホントに順風満帆で成功した人なんていないのだから、自分のペースで自分にできることを地道にコツコツやっていけばいいのだ
posted by コウちゃん at 15:31| 福岡 ☀| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月24日

ヤバい環境

僕も含めて、多くの人は

不完全な生き物

だと思っている
つまり、完全な人はいないってこと

んなこたぁ、分かっとるわい

って人のほうが多いだろうね

だけど、それにもかかわらず、

他者に完全を求める

ってことも少なからずあるわけで、だから人は悩むし、時に関係がギクシャクする事もある

ただ、この“不完全”というのは“悪”ではない
むしろ、不完全だからこそ、その分“伸びしろ”があるってことで、

楽しみがあるってことでもあり、

不完全サイコー!イェ〜イ!

ってことでもある(笑)
実は最近「さわぐちけいすけ」って人のマンガに出逢い、ちょっとツボにはまったからオマージュしてみた(笑)(実際の作品とは少し内容が違うけど、気になる人は下記リンクを自由にどうぞ)
https://twitter.com/tricolorebicol1

ただ、

無知は罪なり、知は空虚なり、英知もつもの英雄なり

って言葉があるように、

“無知であるがゆえに犯す罪”はそこかしこにあって、
知(情報)そのものには意味も無くて(=空虚)、
行動したり、体を成していなければ何もないのと同じ

だということで、これは僕も含めて誰にでもあり得る事だと思う

だからこそ、

答え無きものを解く力(=英知)

が必要になるわけで、それは考え生み出すこと(=創造する)でしか手に入らない

だから、考え続けて、不完全ゆえの“伸びしろ”を埋めていくのだと思うし、生きるって事が面白くなる

で、僕がヤバいと思うのは、「知」に依存して、知を持つ人を「完全なるモノ」のように勘違いし、自分で考えないで、「知を持つ人からガメツク得ようとする人」で、何か不都合が起こればその人を叩きに行く環境

ようは、自分で考え、行動し、答えを探さない人とその環境ってことで、僕はこういう人と環境を

クレクレ星のクレクレ星人

と呼んでいる

答えなきモノを解こうとする人は、知を「体得」しようと必死に努力し、時間を使い、お金を使う

それでも埋まらない「答えなきモノ」と日々葛藤しながら、それでも答えを導こうと必死に“答えらしきもの”を見つけていくんだよね

で、ヤバい人、ヤバい環境ってのは、

無知が罪であることを認めず、
知(情報)そのものに意味があると勘違いをし、
知を持つ人から答えだけを得ようとする
その結果に対する責任は背負わない

こういう人と環境はマジでヤバい

でもって、そういう人や環境ってのは、たいていの場合ヤバいことに気づいていないか、指摘されたときに逆ギレし、責任の押し付け合いになることが多い

その理由は簡単で、

知を得る事=考える事

と思いこんでいる所にあると思う
大事なのは、知(情報)を得ることではなくて、

そこから何を生み出すか(=創造する)

ってことなわけで、行動しないうちは、知を得たとは言えない
少なくとも、生み出そうともがいている過程が表に出なければそれは相手には伝わらない

ようは、どんな形でアウトプットするかってことで、それが創造するってことになる

人は不完全だから、何かを補い、補うものを創造して生きている
創造できる人が、人に与えることができるのであって、人からもらうばかりじゃ何も生まれないんだよね

どんどん、創造していこう
完全なモノなんて無いのが当たり前なのだから
posted by コウちゃん at 14:09| 福岡 ☔| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月22日

村田諒太にエディタウンゼントが就いていたら?

結局のところ、人との関係が強くなるには、

応援する(勇気づける)

ってことが欠かせないと思うし
それが、

コミュニティの強さ

にもなってくると思う

と言っても、それは数によるものではなくて、いわゆる

絆の深さ

によるもので、これは、勇気づけの関係からしか生まれない

褒めるにしても、
叱るにしても、

与える人の満足(興味関心)でしかないわけで、もの凄く暴力的に言ってしまえば

相手の事などどうでもいい

ということになる(もちろんそこに悪気はないのだろうけどね)
だから保身なんてものにすがるようにもなるのだろうけどね

だけど、勇気づけ(応援)ってのは、基本的には

共感とか
尊敬とか
信頼とか


そいういうものがベースになってくるから

上下とか
損得とか

そういう二者択一的思考もどうでもよくなる関係になってくる

よく、「叱られる内が華」と言われることがあるけど、言い換えるならこれは

関心を持たれている内が華

ってことでもある

そうなると、人は関心を得ようと、褒められることをし、叱られることはしないといったような行動をするようになり、結果、縛られた生き方しかできなくなってしまうし、自滅してしまうようにもなる

こないだ、村田諒太のボクシングの世界戦があって、いろいろ物議をかもしているけど、ボクシングには、選手以外にも注目すべき素晴らしい人達がいる

トレーナー

と呼ばれる存在って、選手にとっては、共に戦うパートナーのような人でもある

日本人の世界チャンピオンを6人育て、あのガッツ石松や、井岡一翔の叔父である弘樹を育てたことで知られる名トレーナーに

エディ・タウンゼント

エディ.jpeg
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%88

という人がいた
井岡弘樹の現役中に亡くなったのだけど、彼は自分が育てた選手に無関心になることは無かったという

というのも、

誰が彼に一番愛されたボクサーだったのか

という問いに、彼にお世話になった選手全員が口をそろえて

自分だ

と言っていたことがその全てを語っていると思う
そんな彼の名言の中には、

勝った時は友達イッパイできるから、
ワタシいなくてもいいの
誰が負けたボクサー励ますの?
ワタシ負けたボクサーの味方ネ


というのがある
事実、勝った後の祝賀会には一切参加しないで、負けた時にはずっとついて励ましていたようだ

ボクシングに限った話じゃないけど、プロスポーツのシビアなところって、こういうとこにもあると思う
好成績を残している内は誰もが関心を寄せるのに、成績がふるわなくなるとサーッと人が引いていくみたいな…

ようは、勇気づけってのは、関係を持つ人との絆を深めて、“関わり”から“繋がり”へ、そして、“結びつき”に発展していくためのツナギのようなものだってこと

だから、僕は「叱られる内が華」なんてのは、励ましの言葉だとは思えなくて、むしろ、相手を縛り、コントロールするためにあるような言葉だと思っている

褒めるよりも、共感したり
叱るよりも、適切な注意をしたり
そして、最後はどちらの場合にも「勇気づけて応援する」

こういう事のほうがよっぽど「生き甲斐」を感じるのだと思うんだよね

最後に告知…
髪のツヤってのは、基本的には表面がキレイになめらかになっていれば出るモノだけど、年齢を重ねるにつれて、キレイななめらかさを出すのは手間がかかるようになるものでもあります

髪をキレイでなめらかな表面にするエイジングケアには美革ストレートがおススメだから、気になる人は下記リンクをご自由にどうぞ
https://www.facebook.com/272942526240948/photos/a.281773302024537.1073741827.272942526240948/699958890205974/?type=3&theater
posted by コウちゃん at 13:45| 福岡 ☀| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月20日

「勇気づけ」ればたいていの事は上手くいく

モティベーションが上がったり下がったりするのは環境によるもので、それはどうしようもない事だって書いたわけだけど、

関心を示されているか、そうでないか

ってことだから、結局のところ、

あなたの周りの環境次第ってことなわけで、
それはコミュニティ次第ってこと

だから、自分のモティベーションを上げたければ、自分の環境をどんどん変えていけばいい

だけど、モティベーションが上がらないと“相談を受ける時”というのもあると思う
そうした時におススメなのは

勇気づけ(応援)

ができると、いいかもしれない

エリ・ヴィーゼルの有名な言葉に、

愛の反対は無関心だ
美の反対は醜さではなく、無関心だ
信仰の反対は異端ではなく、無関心だ
そして、生の反対は死ではなく、
生と死に対する無関心だ


というのがあるけど、ようは、世の中のいわゆる“不幸”と呼ばれることや“課題”の根源は全て無関心だということをエリは伝えているというわけ

他者が「無関心だと“自分が”感じる」から、モティベーションが上がらない

だから、関係を持つ人のモティベーションが下がっていると感じた時は、要注意だってこと

それは、“誰からも”関心されていないと相手が感じているからということ

“誰からも”だから、“あなたからの関心”も相手は感じていないということになる

関心

だから、良くも悪くも「関心」なわけ

子供のイタズラをやめさせたくて、「怒る」とか、「叱る」も関心
部下の努力が実って、共に喜ぶのも関心

だけど、関わる人のモティベーションが下がっているということは…

関心が持たれていないと“感じている”サイン

ということなわけ

実はこの「関心」ってのが大事
もの凄く大事

というのも、人は「良くも悪く」も…

注目されたところが伸びていく生き物

なわけで、不適切な行動に注目(注意・指摘)すれば、不適切な行動が増え、適切な行動に注目すれば、適切な行動が増えるものだからね

じゃ、どうしたらいいかとなるのだけど、それには、

不適切な行動には、“適切な注意”で「勇気づけ」
適切な行動には、“共感して”「勇気づける


ってことをしていけばいいということ

ようは、どっちにしても「勇気づけて、応援する」ってことが大事だってことで、
結果それが「関心を持たれてる」事に繋がって、
モティベーションが長続きするようになるというわけ

褒めたり叱ったりってのは、基本的には

与える側の満足

でしかないから、受ける側からしたら

賞罰みたいなモノになるから、
人の顔色を伺うようになってみたり、
その場しのぎの満足でしかない


結果、長続きしなくなる

ということになるわけ
でもって、これがドリームキラーにならなくて済む方法でもある

だから、自分のモティベーションが低いと感じたら、コミュニティ(環境)を変えて、自分が関係を持つ人のモティベーションが低いと感じたら、その人にもっと関心を持って応援してみよう

そしたら何かが生まれるはずだから

最後に告知
僕たち美容師の仕事ってのは、基本的にはあなたがキレイになるための「土台」を作る仕事だと思っています

美容室に行ったから、それで終わりってことは基本的にはなくて、その後のあなた自身に対する「あなたの関心」がキレイになるためには必要で、あなたが努力して、何かが変わることに対して常にアンテナをはって気づき応援するのが「接客」だと思っています

だから、ちょっとした変化にも気づく努力は惜しまないし、その為に必要なトリセツはご用意しているので、気になる人は下記リンクからご自由にどうぞ
https://www.facebook.com/272942526240948/photos/a.281773302024537.1073741827.272942526240948/698963833638813/?type=3&theater
posted by コウちゃん at 15:04| 福岡 | Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする