2017年05月08日

「区別」じゃなくて「違い」

基本的に僕たち今のオトナというのは、「区別」ありきで教育を受けてきた

男女の区別
年齢の区別
仕事の区別
学校の区別

数えたらキリがないけど、「区別」がない、デキないモノに関しては、抵抗感をもつように育てられてきたというわけ

それが、今じゃ70代80代の高齢者までもがスマホを持ち、デジタル文明に少なからず触れるような時代で、中にはものすごいスキルを身につけた婆ちゃんがいたりする

でもって、うんと若い「学生」が今は、このレベル
http://www.yukisako.xyz/

ハッキリ言って、僕たち30代〜60代が一番ついていけていないかもしれない(笑)
というか、そこにこそ、二極化というものの根源があるのだろうと思う

ということは、今の時代を楽しく生き抜くには、なんだかんだ言っても、この環境に適応していかにゃならんわけ

で、当然それができないと、子供もできないままで成長しちゃう
だって、デキない大人がデキる子供に導くなんてムリでしょ?

そういう意味でも、「違い」を感じて「繋げる」というのは大事になってくるし、導くってのも、「繋げる」ってことだから今の僕ら世代はホントに気づかないとヤバい…

ただ、僕は、「区別」と「違い」は意識的に使い分けるように心がけている

例えば、昔は仕事の上でも、生活の中においても「男女の区別」というのがあったけど、今はほぼない

あるのは、体の造りの「違い」とか、思考の「違い」とかものすごくシンプルに本質的な「違い」がただ「ある」というだけになってきた

子供と大人の区別

も今はかなりなくなってきていることに気づけないとホントにヤバイことになる
分からない人にはわからないだろうけど…

シンプルにスゲーヤツはスゲーし、そうでないヤツはそうでないって環境ができてきているわけ

我が家じゃ、11歳の長男が、65歳の主婦(婆ちゃん)と対等に家事の話をしている
僕も、オヤジも二人の会話についていけないのだ(笑)
この2人の間には、孫と祖母っていう区別がなければ、子供と老婆っていう区別もない
主婦としての経験の「違い」はあるけど、基本的には「対等」に語り合っている

こうした事はいたるところに現れてきている

この「区別」のないボーダーレスな環境ってのは、多くの人が「未知なる世界」だから、「不安や、恐怖」を抱えることになると思う

そうした時、ボーダーレスを楽しむコツとしては、

・ものすごくハードルが低いことからやってみる
・すでにその「未知なる世界」にいる人と繋がってみる


ということをおススメしている

で、こうしたことは、美容の世界でもようやく広がりだしたから、今は「オシャレ染・白髪染め」の区別をしないでヘアカラーが楽しめるようになっている

まずは、手軽に「違い」を体感してみよう

それを繰り返していけば、気づかないうちに「違い」を楽しむオトナになっているはず(笑)
https://www.facebook.com/272942526240948/photos/pcb.693365347531995/693365124198684/?type=3&theater
posted by コウちゃん at 12:24| 福岡 | Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月06日

「繋げる」力

結局のところ、「違い」が全てで、最終的には「違い」を「繋げる」事で楽しくなるのだと思う

だけど、それはクオリティによるものじゃなくてもっとシンプルで本質的な部分での「違い」によるものだ

望むか望まないかとかそういう欲求的な部分

スマホでアンドロイドにするかアイフォンにするかみたいなものに似ている

クオリティ自体には大差はないけど、単純に好きか嫌いかとか、自分にとって使いやすいかそうでないかということで選ぶ人が大半だろうと思う

で、それをもっと広くとらえて見たときに、楽しいってのは

環境を変えるって事だったり、
環境をよく知るって事だったりするわけ


結局のところ僕たちは環境の中でしか生きられないから、その環境がどんなものなのかを知らなきゃ活かし方が見えないし、繋がりたくとも繋がれない
そもそもの環境が社会から逸脱したものかどうかも、その環境を知るところからしか始まらないわけだ

当然、知っただけじゃ何も変わらないわけで、自分の今の環境から、自分が楽しみたい環境に繋げないとホント何も変わらない

だから僕は美容師という仕事を楽しんでいる

美容師ってのは、基本的には「誰かが作ったモノ」を使って、作ってくれた誰かの代わりに施術をする仕事なんだよね

ヘアカラーを美容師は作らないし、
パーマの薬も巻きつける道具も作らないし
ハサミも作らない

全部どっかの誰かが作ってくれたモンで、それを使わないと仕事ができないのが美容師だし、美容師がいないと、作ってくれた人達は生活ができないわけで、それがあるから、人はキレイになれる

ようは、僕たち美容師の本質ってのは、テクニックそのものじゃなくて、見えない誰かと、目の前の大事な人を繋げる事だということ

そこんとこ勘違いしちゃう美容師が多いから、ホントに美容室を探している人が何で選べばいいのか分からなくなってしまうし、ここぞという時の身だしなみを整えることもできなくて悩む人が多くなるし、キレイになりたくても何をしたらいいのかわからないという人も増えている

だけど、こうした事は他の業界にも当てはまって、結局のところ、僕たちは見えない誰かと、目の前の大事な人つなげているという事なんだと思う

どんどん繋がりを感じて
どんどん繋がりを拡げて
どんどん繋げて行こう

間違いなく、そこには「楽しい」しかない

最後にちょっとだけ告知(笑)

イタリアと日本が繋がった正真正銘の「オーガニックヘアカラー」ってのをキレイになりたいと願うたくさんの人に届けたいと思っているから、こちらも自由に見て欲しい
https://www.facebook.com/272942526240948/photos/a.281773302024537.1073741827.272942526240948/692373580964505/?type=3&theater

posted by コウちゃん at 11:13| 福岡 ☔| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月04日

クオリティより、ギャップ

僕たちが空のコップで、何を注ぐかを考えれば、「楽」になると言ってきているわけだけど、ようは、

楽しく生きなきゃ、人生もったいねぇよ

ってことなわけ
で、今の世の中を見てみると、楽しく生きようとみんな必死だし、そういう情報もめちゃくちゃ多くなったと思う

だけど、多くの人は

クオリティ

ばかりを求めてるようなきがするんだよね

で、こういう人に多いのが、

好き=楽しい

と思っていること
確かに、楽しむためには、好きな事から始めてみるというのは、「きっかけ」としてはいいかもしれない

実際、うさんくさいモティベーターとか、スピリチュアルカウンセラーなんて連中に多いのが、

好きな事をしていけばいいんです
嫌いな事はする必要がありません

といったようなことが多いような気がする

だけど、

好きじゃなくても楽しい

ということだってあると思うんだよね

好きだから楽しい

というのが多分大勢の人の感覚だろうから、そうした人はもしかしたら

あんた何ば言いよるとね?

と思うかもしれない

クオリティを求めてしまうと、人は「やるべき」事を考えてしまう

クオリティをあげるために、○○しなくてはならない
とか、
クオリティをあげるために、○○をするべき

といった感じのことを思う人が多いだろう

だけど、「〜しなくてはならない」とか、「〜するべき」ってのは、言ってみれば、縛りみたいなもんで、自由とは離れてしまって、楽しむことが目的なのか、クオリティが目的なのか分からなくなってしまう

それよりも、ギャップに注目すると、人は楽しみや、希望を抱くようになると思うんだよね

今よりも、いい暮らしがしたいというギャップ
今よりも、いい成績を残したいというギャップ
今よりも、楽しくしたいというギャップ


そして、それが現実のものとなった時に初めて

楽しい

と思えるのだと思う
で、当然この根っこにあるものは、「〜したい」だから、やりたくなければ、やらなきゃいいわけで、別のことをしてみたり、またそのギャップを埋めようと必死に何かしらをすると思うわけ

ようは、楽しいと感じたい、感じる時ってのは、少なくとも、それ以前もしくは、現状との比較がそこにはあるということなんだよね

で、その比較する対象も、未来にあるんだから、誰も分かるはずがないんだよね
今を楽しんでいる人は、今と過去を比較して、そこにギャップがあるから楽しいと感じたり、さらにその先と思うから楽しいと思えるわけ
決して、クオリティが高いから楽しいということではない

だけど、クオリティを求めて進んでいくと、デキない時に悩み、楽しくなくなってしまうし、それが言い訳にもなってしまう

ギャップを求めれば、クオリティが低かったとしても、デキていなくとも、何らかのギャップを感じることができるわけだから、楽しくもなる
次はこうしてみようとか、これでこうなったんだから、今度はこうしてみようとかね

今は、昔に比べていろんなモノ・コトがハイクオリティになってきた時代だ
求めるものも、求められるものも、クオリティの部分が強い
だから、クオリティを求める、あるいは、クオリティが高いというのは、ある意味当然であっても仕方がないわけ

これは、言い換えるなら、ハイクオリティが当たり前なんだから、そこを求めて生きても楽しめない人が多いのも当たり前ということでもある

だからこそ、クオリティに目を向けるのではなく、ギャップに目を向ければ楽しくなると思うんだよね

それも、ギャップを埋めようとすると、過去に目が向いて、クオリティを求めちゃうから、埋めるのではなく、ギャップを「創る」と思えば、未来に目が向いて、どんどん楽しい事を想像していくだろうから、想像した事をどんどんしていけばいい

ギャップをどんどん感じていこう
そして、ギャップをどんどん作っていこう
posted by コウちゃん at 14:41| 福岡 ☁| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月01日

勘違いと偶然のあいだ

ちょっと懐かしい映画を見た後だったんで、タイトルをちょっとパロってみた(笑)
ピンときた人もいるだろうけど、

冷静と情熱のあいだ.png

この映画の内容はまさに、「勘違いと偶然のあいだ」なのだけど、僕たち凡人はこれが当たり前だと思うのだ

ようは、

キャラ次第

だということ
空のコップだと言ってみたりしているけど、

人間が誕生して以来、

何を言うか、より、誰が言うか

ってとこは、昔から変わりゃしない
だから、

何を言うか、より、誰が言うか

が重要なのは当然で、ようは

キャラ次第

ということになる
それは、性格だったり、自己イメージだったり、他者イメージだったりする

で、そう言ったところで、とどのつまりは

自分が生きたいように生きている

のが僕たち人間なんだよね
これは、自分が認めた(あるいは諦めた)結果

今の自分=キャラ

だということでもある
ただ、この「キャラ(今の自分)」ってのは、

偶然と勘違いのあいだ

だということ
たとえば、あなたが、買い物をした時に、たまたま上機嫌な店員さんに、たまたまあなた好みの対応をされたとする
そして、たまたまあなたに薦められたモノが、もの凄い大ヒット商品になってしまった
すると、あなたは、その店員さんと、その店のファンになる

こうなると、あなたはその店と、店員の何もかもが良く見えてくる

だけど、これは、偶然が重なっただけなんだよね

実は、いつもはもの凄く偏屈な店員で、対応もぶっきらぼうで、薦めるモノもそんなにたいしたものではないかもしれない
そして、流行なんてまさに偶然の産物なんだから、全くと言っていいほど売れないモノばかりかもしれない

だけど、そんな「たまたまな日」を最初に出逢ったあなたは、むしろこっちのほうが、「たまたま」なんだと思うかもしれない
言ってみりゃ、勘違いだね

たまたま生まれてきて、
たまたま周りにいた人間と
たまたまそこにいた環境のなかで
たまたま見聞きした結果生まれた


のが、キャラ(今の自分)だと思う

さらに、

そのたまたまの瞬間を切り取って勘違いした

から、今があるわけ

たまたま真面目と言われたから、真面目だと思いこみ
たまたま面白いと言われたから、面白い人でいることに気持ちよくなり
たまたま好みのタイプがそこにいたから、好きになり
たまたま独身だったから、恋人になり

そういう事を繰り返して今があるというだけのこと
だから、生きてる限り、人はいつだって変わることができるんだよね

ようは、

キャラは自分でいくらでも創れる
偶然と勘違いをコントロールする


って2つの事をしていけば、たいていのことは上手くいくようにできているのが今の時代なんだと思う

その為には、環境は大事

良い偶然と、良い勘違い

を起こすには、

良い環境

に「居る」しかない

「勘違い」しちゃいけないのは、

良い環境を造る

としようとすること
大抵の人は、こっちをやっちまおうとしてしまうから、「苦悩」することになる

環境=他者

であって、自分じゃない
自分じゃないんだから、コントロールするなんてことはできるはずもないわけ

良い環境ってのは、自分にとって面白いと思える人達がいる環境のことで、自分の不安(知らないこと)を知ってる人が集まる環境のこと

だから、結局のところ、

どのコミュニティに入るか

ってことが大事になってくる

だから、僕は、

どんどん勘違いして、
勘違いじゃないと思える環境に移動して
不安を自信に変えていく

ってことをやっている

娘のしぐさに、自分と重ねて、きっとパパが好きなんだと思いこみ、これまで見向きもしなかった女の子向けのモノを必死で学び、幼稚園で好きな子がいると聴いても、それはヤキモチを妬かせたいだけなのだと勘違いをして、目下、4歳の顔も知らない男の子をライバルに彼には出来ないであろう事を本気でやり、娘の気を惹こうと必死なのだ(笑)
posted by コウちゃん at 11:52| 福岡 ☁| Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月30日

おばけなんてないさ♪って、フルコーラスで歌える?

自分は空のコップで、注がれたものは、基本的には、何者かによって注がれたものだと言ったけど、そもそも「自分」だと思って(勘違いして)いたものは、何者かによって注がれたものであって、それが、

親であったり、
先生であったり、
友達だったりするわけだ

これは、ある意味洗脳みたいなもんで、これがあるから、不安やら恐怖やらそういうモンに襲われるようにできている

というよりも、洗脳するために不安や恐怖を無意識に利用されていたといったほうがいいかもしれない

だから、自信は70%くらいがちょうどいいと言ったわけだけど、30%の不安ってのは一体どこから来るかって話だ

これは、息子の話が分かりやすいんでそれを例に言うけど、多くの人に当てはまると思う

基本的には怖いもの知らずな息子なんだけど、2つだけどうしても怖がるものがある

・幽霊(オバケ)
・虫


虫が目の前に現れようものなら、ジャイアンを彷彿とさせる日ごろの勢いはどこへやらだ(笑)

幽霊にいたっては、長男の怖がり方はハンパない(笑)
夜のトイレはいまだにドアを閉められない

で、あるとき、こんな事を聞いてみた

パパや、ばぁばが幽霊になって会いに来てもそうやって怖がるの?

すると、それは怖くないと言う(笑)

ようはそういう事なのだ

幽霊そのものが怖いんじゃなくて、
知らない(分からない)から怖い


ってこと

で、不安や恐怖もそれと同じなんじゃないかな

コントロールできない事

なんだから不安であり、怖いんだよね

自信は70%くらいでいい

というのもそういうことで、人は、情報(環境)の中でしか生きられないんだから、制御不能なモンをどうにかしようとしてもそれは無理というより、無茶なんだよね

多くの人が、他人に作られた(洗脳された)自分を生きてきたわけだから、

他人が作ったもんだから、制御不能

なわけ

これが、

不安や恐怖

というものの正体なんだよね

じゃ、その不安と恐怖を克服するにはどうしたらいいかってなると思う

それが、

30%の不安が努力を与えてくれる

ってことなわけで、ようは、自分で創れってことだ

自分で創るんだから、勘違いしようが、何しようがお構いなしなんだ

社会の人間が全て自分と同じわけじゃないんだから、あなたの「知らない(不安)」事を、すでに「知ってる」という人だって当然いるわけ

ようは、「おばけなんてないさ」ってあの歌のようなもんなんだ
あの歌の後半は、実はすごく深いんだよね

だけどこどもなら
ともだちになろう
あくしゅをしてから
おやつをたべよう
(サビ)

おばけのともだち
つれてあるいたら
そこらじゅうのひとが
びっくりするだろう
(サビ)

おばけのくにでは
おばけだらけだってさ
そんなはなしきいて
おふろにはいろう
(サビ)


だから、不安なときは、おばけなんてないさと歌ってみればいいわけだ(笑)

あなたにとっての「おばけ」と「トモダチ」になって、共に何かをすれば、人がアッと驚くようなことが巻き起こるかもしれない
「おばけ」の国じゃ、おばけしかいない
そこでは、あなたの「不安」は「自信」に変わるかもしれないし、「普通の事」かもしれない

不安なんてもんは、所詮は他人に注がれたモノでしかないんだからね
posted by コウちゃん at 12:00| 福岡 | Comment(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする